100年前から変わらない資産形成の基本!書評「私の財産告白」2

こんにちは!ひとさちです。
前回は強制的に給料の4分の一を貯金するという方の紹介と、現代に生きる私なりの貯蓄法を紹介しました。
今回は前回に引き続き本多清六の「私の財産告白」の第二章「金の貯め方・殖やし方」について書きます。

この章では本多は家計簿の重要性、副業とはどういうものか、彼自身の株の売買方法について述べています。
この章を読めば、本多清六がいかにして資産を増やしていったのかがわかります。

Contents

「第2章 金の貯め方・殖やし方」貯蓄の基礎の基礎は家計簿

本多は冒頭、まず千円ためれば一万円になり、そこまでくれば金が金を生み面白い投資口も出てきて殖えて殖えて驚く、と述べています。
1950年時点の今日で千円が10万円とのことで、令和の現在ではこの千円はいくらでしょうか。
1950年の大卒公務員初任給が4223円のようなので50倍として、500万円程でしょうか。
ちょうど今の自分の資産が500万円を超えたところなのでグッとくるものがあります。
本多さんの言う通りならここから10倍の5000万円はすぐで、そこからは殖えて殖えてびっくり・・・となればいいですね。。。
現在では投資はより低額から始められ、最初につらい思いをしなくても非常に少ない金額から可能ということでしょう。
現代ではつらい思いをする前にまず投資ができるので、給料の4分の1を天引き貯金ではなく、私のように給料4分の一天引き投資を行うのが現代風です。

4分の一天引き貯金の基礎「家計簿」

さて財産が大きくなった本多は、お金のためでなくなった自分の職業に大きな充実感を得ていました。
しかしここで周囲の妬みを買い辞職することになります。
その引き際に、自分の財産の正当性を主張するため今までつけていた詳細な家計簿を公開して身の潔白を晴らしました。
そこで本多は家計簿の重要性について話しています。貯金の基礎は家計簿をつけることから始まったと。
家計簿については今でも、必要だとする書籍と、必要でないとする書籍がありますが、私は経理職ですので必要派です。
やはりダイエットをする場合も体脂肪率や筋肉量を記録してくように、自分の入出金管理はしないと傾向が見えてきません。
私の場合は買い物をすべてクレジットカードにして、カード明細をEXCELで整理しています。
不要な固定費の見直し、臨時支出の把握、遊興費の増減傾向把握などに役に立っています。
自分を変えようとするとき最初にとるべきことは自分のデータをとること、データをとっていく仕組みを持つことです。

本多清六流「副業のススメ」

家計簿をつけることで本多は支出を管理していましたが、収入についてもコンロトールしています。
勤労者が金を得るには本業だけではなく、アルバイトが重要と説いています。
本多の場合は執筆活動、学問の切り売り(本業分野の解説書などでしょうか)?を副業として行い、給与とは別に収入を得ていたそうです。
毎日1ページという掟で、書けない日があれば次の日に2ページ書く。そしてある時期からは3ページに増やしています。
これはブロガーとして大変見習いたいです。本多清六の強さの一つは継続できる強い意志です。
収入自体を増やすことができれば貯蓄額も多くなり、目標金額達成まで早くなります。
まさに現在言われている副業の必要性と同じことを考えて実践していたということですね。
しかしこの方が普通と違うのは、この副業を一生続けるということ。
この毎日の執筆活動はお金のためではなく、若い頃に立てた人生計画の一つです。
資産が莫大に増えていた時期もこれを欠かさず行っていましたが、その頃の原稿料など大した意味はなかったでしょう。
このことから、本業で給与をもらい、副業はライフワークとして継続できるものを選んで収入を得る、という本多の考え方が読み取れます。
本文にもアルバイトと記載されているのですが、本業は昼間会社で、夜はコンビニや道路工事でバイトする、ということではないのだと思います。

本多清六の投資手法「二割利食い、十割益半分手放し」

支出を減らし、収入を増やし、次はお金に働かせる段階のお話です。
本多は株式と山林への投資で財産を構築したと述べ、まず株について「二割利食い、十割益半分手放し」というルールを守りました。
そして期を待つこととして、市場が暴落した時には買いを入れています。
損切についてはここでは何も触れていません。
二割利食いとは、時事に株価が上がって2割の利益を出したら売る、ということ。いうのは簡単ですが上がっていく最中に売るのはなかなか決断が難しいと思います。欲をかくのが普通です。2割上がったら売ると心に決めて購入しているからその通り売ることができていたのでしょう。

十割益半分手放しとは、購入していた株が意図せず2倍になったとき、半分売って元金を回収し、残りはただでもらったものなので暴落も平気、強気で保有しておける、という手法です。
本多が生き抜いた時代は戦争により相場が乱高下して、儲かるときは大きく儲かったようです。好景気には働いて金をため、不景気なったら思い切った投資を行う。そしてこれをタイミングよく繰り返せと述べています。
今の日本はずっとデフレで、好景気と不景気のような波を感じづらいですが、日経平均のチャートを見ていれば今までに何度か大きな上下がありました。
私も資産が増えたのは今回の不況時。コロナで下げた2020年です。
資産家は恐慌時に生まれるといわれ、それを実感しています。

本多清六の森林投資はバフェットの考え方に近い

本多はもう一つの投資対象として、自分の専門分野である山林を選びました。
これについては学問と実際を結び付けるのに大きく貢献したといっています。
最初から山林で儲けるために勉強していたわけではありません。

本多は日本に戻ってすぐ、学生支援の資金を集めようと周囲に声を掛けますが、嫌味を言われ相手にされず、人ではなく自然と協力して立派な資金を作ろうと思いました。
この志を行動に移し、安い山林を買って値段が上がればさらに広い山林を買い、徐々に計画的に一か所の広大な森林にまとめ上げました。最終的にこれを全部売って援助資金にするのでは長続きしないので、山林をそのまま管理して収益を上げ、それを毎年の継続的な援助資金にしていくため、県に山林を寄付してその経営管理を任せました。

全部を現金化してしまわないで、収益を上げる装置として保有し続けるという考え方は、本多がドイツ留学前に感銘を受けた「林業計画」に影響を受けているのでしょう。この考え方が基礎になり、本多清六を資産家に押し上げたんですね。
森林はゆっくりと年月をかけて育っていくもので、その管理経営を考えるということは長期的な大きな話です。
日銭を稼ぐのも大変、戦争があって物と金の価値がみるみる変動していくという激動の世の中で、この考え方を持っていた本多清六は特異で優秀な人材だったことでしょう。庶民とは全く別の視点で世界を見ていたのだと思います。
自分の親族にはお金を稼ぐ資産を持っている人はいません。だからお金を稼ぐためには優秀な人材になることだという教育を受けてきました。そうではなくお金を稼ぐためにはお金を稼ぐ装置を作ることが重要なのだと今は思います。

そして本多清六の森林投資は、彼自身が自分の得意分野で投資を行ったことにあるでしょう。
ウォーレン・バフェットもITが出てきた時には自分にはわからないとして今まで続けてきた投資方法を継続しました。
私には得意分野といえる投資先はありませんが、最低限納得できないものに投資するのは避けたいです。

この章には資産形成の各プロセスでの基本姿勢が書かれている

私が思う資産形成のプロセスは以下です。

  • 貯金
  • 株式投資
  • 不動産・事業経営

この3つに対し、紹介した第2章では書くプロセスに対して以下の具体的対処法が書かれていました。

  • 貯金 → 家計簿をつけて収支を分析する
  • 株式投資 → 時期を待つ、元本を早めに回収して余裕資金で投資する、二割設けたら即利食いする
  • 不動産・事業経営 → 即時に現金化せず、経営管理して収益化を続ける

それぞれはたくさんある中の一つのアプローチで、個人的ルールのレベルかもしれませんが、本多自身が実証した通りとても重要で大きな効果のあるものです。
特に家計簿をつけることは一つの真理だと思うので、やったことがなければ一か月分だけでも作成することをお勧めします。

以上お読みいただきありがとうございました。

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